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COVID-19緊急レポート 米国では今何が起こっているのか?

Story 1 “貴重なマスク”

 南カリフォルニア州で新型コロナウイルスが騒ぎ始めたころ、一般市民はトイレットペーパーや食料品などの買いだめをしたため、1-2週間ほど、スーパーマーケットでは、特に缶詰、乾麺、パン、お米や豆類などの比較的日持ちがする食品の在庫がなくなりました。毎日お店に配送されてくる食品は、朝早くから列を作り並んでいる人たちが買い占めてしまうため、私が病院での仕事を終え、その帰宅途中に買物に行っても、お店には生野菜や果物が少々残っているだけでした。

 朝早くから夜まで続く病院での仕事は激務続きなので、朝から列に並んで買物をすることができず、手に入る野菜で食べしのいでいました。その日は激務の1週間が終わり病院を出たのも夕方遅くでした。家の冷蔵庫には食材が、あまり残っていないことを思い出し、電話で持ち帰りできるお弁当をオーダーしました。わたしは、小さなレストランの駐車場に車を止めて、車内で待っていました。そうすると近くに駐車した車から、中年くらいのおじさんが"Are you a doctor?"「あなたは、お医者さんですか?」と尋ねてきました。わたしのジャケットに縫い込まれている、名前とタイトルをみて、わたしが医師だとわかったのしょう。「どうぞこれを使ってください」と言って、わたしにオンラインショッピングで手に入れたという新品のN95マスクを差し出しました。

 みんなが取り合いをしている貴重なマスクを、このおじさんは、全く見知らぬ私にくれようとしているのです。新型コロナウイルスがパンデミックな状態に入ってからは、オンラインショッピングでもマスクは貴重品とされ、値段も一つが15ドルという高価な値がつけられています。それを知っていたので、わたしは、急いで車を降り、20ドル紙幣を握りしめ、そのおじさんの後を追いかけました。やっと追いつき「本当にありがとうございます。」と言って差し出した20ドル札をおじさんは受け取りませんでした。そして、おじさんはわたしに向かって、「マスクは、自分よりもあなたのほうがもっと必要です。危険を冒して働いてくれてありがとう。頑張ってください。」と言い残し、車に乗り走り去って行きました。

 走り去る車を目で追いながら感謝の気持ちでいっぱいになりました。このさわやかなおじさんの笑顔が今も心に残っています。緊張が高まるこのパンデミックの真っ只中で経験した貴重な出来事でした。

 

 
     
 

Story  “最期のあいさつ”

 「人は生きてきたように最期を迎える」とよく言われます。多くの死と向き合う患者さんとの出会いの中で、この言葉がまさに真実であることをあらためて教えられたこのようなことがありました。

 45歳のKさんは、17歳、14歳、そして9歳の三人娘の父親で、コンピューター関係の仕事に就いておられます。Kさんは尿膜管がんと診断された後は、家で仕事をすることが多くなりました。どんなに具合が悪くても月1回の外来検診の時には、いつも笑顔が絶えません。こんなに辛い状態でも、どうしてそんなに明るい表情が保てるのかと、会うたびに彼の真摯な生き方に心を惹かれたものです。しかし積極的な治療の甲斐もなく、がんは気管にも転移し、呼吸不全のため入院することになりました。集中治療室で息絶え絶えに苦しんでいるKさんを回診した時には、「あー、Kさんもとうとう末期に入ったんだな」と、今迄の様々な思いが去来しました。その翌日、気管にステントが挿入されました。そうするとKさんの呼吸苦は昨日の苦しみがまるでうそのように、直ぐに楽な呼吸に変わりました。2日後Kさんは、「先生、わたしはまた家に戻って仕事です!」と笑顔で張り切って退院して行きました。その後、数か月間はいつものように一人で車を運転して外来通院を続けました。ある週末、ひどい頭痛で入院となり、脳のCTには新しいがん転移が発見されました。脳外科医は腫瘍摘出の手術を提案しましたが、彼はそれを拒否しました。

 現在、新型コロナウイルスの感染拡大防止策のため、病院は面会禁止となっており、家族ですら病院に入ることができません。わたしは、入院したKさんを回診しました。いつも笑顔を絶やすことのないKさんでしたが、今日は沈んだ表情でした。「病状が悪化し、仕事ができなくなったので、その生活を支えるために、奥さんがスーパーマーケットのレジ係として、毎日長時間働いている。そのことがとても心苦しい」と、涙を流して話されました。「先生、検査の結果、脳転移だと言われました。もう終わりが近いと感じています。自分は闘えるだけ闘いました。このまま入院して、手術を受けたらもう家族にも会えないでしょう。コロナウイルスのために面会禁止の病院に入院していたくはありません。今日、家に帰してください。娘が6月14日に高校を卒業します。その時まで、生きていたいのです。6月までもつでしょうか?」と目に涙を浮かべてそう聞かれたとき、「大丈夫、その時まで生きられます」と言いたかったのですが、おそらく数週間の命だろうと思っていた私は、「これは、誰にもわかりません。でもそれがかなえられるようにお祈りしています。」と伝えるのが精一杯でした。

 なんとかKさんの願いを叶えるために、在宅ホスピスに移れるようにとその日の夜に退院できる手はずを整えました。「先生、もう会うことはないかもしれません。今まで本当に有難うございました。どうぞ、良い人生を送ってください。」そう言って、私に手を伸ばし握手を求めた彼のその手をしっかり握りしめながら、しばらくそのままでいました。そして「Kさんの最期を悔いなく看取れるように、奥さんが少しでも多くの休みが取れて、家族とみんなで有意義な時を過ごせますように」と心からの祈りをささげました。

 日本に住む私の母が、進行性の大腸がんの手術を受けた後、二日目から水溶性の下痢が一週間続き、その一週間が過ぎようとした残りの二日間は四十度を超える高熱で苦しんでいました。「このまま安らかに眠りたい」と言っていましたが、人間はあまりにも身体的な苦痛がひどいと、死ぬことの恐ろしさよりも、むしろその苦痛から逃れたいという思いが優先するのです。シシリー・ソンダース医師が、どんなに牧師さんが神様の愛について語っても、身体的な痛みから解放されなければ真の助けとはならないと述べられたことが、母の経験から理解できたのでした。アメリカの心理学者アブラハム・マズローは「人間は自己実現に向って絶えず成長する生き物である」と仮定し、人間の欲求を5段階に理論化しています。一つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動が表されています。人が生きていくために必要な、基本的・本能的な欲求が生理的欲求です。これらが満たされて初めて人は、次の段階へと進んでいけるのです。痛みがあっては、生きる希望さえ遮断されてしまうからです。

 Kさんは、徐々に死が近づいていること、そしてそれがいつ終わるのかも分からない中で、残された家族のこと、何としてもこの時までは生きていたいとの切実な思い、心底えぐり取られるような苦悩の中で、感謝の言葉が語られたのです。自身の生の期限が近づくそんな中にあっても、お世話になった人にありがとうの挨拶ができる、そしてその感謝の気持ちが相手の心に響き、残された者としていかに生きるべきかをもう一度問い直す機会を与えてくれるのだということを、Kさんはその生きざまから教えて下さったのでした。この新型コロナウイルスの騒動がなければ、医療の立場からもっとKさんにお手伝いできたことでしょう、為す術のない現状を如何に打破できるのか、微力ながら自分の出来ることに最善を尽くそうと、そんな思いで今日も病院に向かいます。

 

 
     
 

Story  “さよならを言えなかった最期であっても”

 50歳の男性、T さんは糖尿病、高血圧,腎不全で週3回、血液透析を受けていました。発熱と咳のため、近くの外来を受診しましたが風邪と診断され、咳止めの薬を処方され、一時自宅で療養していました。けれども具合は悪くなる一方で、呼吸苦も出現したため、数日後に緊急外来を訪れました。そして入院後、新型コロナウイルス肺炎と診断が確定しました。しばらく一般病棟で治療を受けていましたが、5日後には呼吸不全のため集中治療室に転室、人工呼吸器につながれました。

 病院では面会禁止令が出されており家族にすら会うこともできません。朝、受け持ちの看護師が笑顔で、「今日も頑張りましょうね」と、励ましの言葉をかけたとき、T さんは手で了解のサインを出したそうです。その数時間後、状態が突然悪化し、長時間にわたる蘇生術の甲斐もなく亡くなりました。彼の奥さんと21歳の息子さんが病院に駆けつけましたが、二人は病室に入ることさえ許可されず、ドアのガラスに顔を押し付け涙を流しながらガラス越しにご主人の遺体を見ています。「主人は本当に死んでしまったの?」と何度も質問されたそうです。「本当に亡くなられました。やれることはすべてやりました…」そう言うのが精一杯だったと若い研修医はつぶやきました。普段なら助けられる命が、まだ未知なことが多い新型コロナウイルス肺炎であるため、その命を救うことができなかったのです。

 Physical Distancing(物理的距離)を守らければならないという指令がでているため、涙を流している家族の肩を支えることすらできません。集中治療室を去るとき奥さんはこう言いました。「あなたたちは、自分の命の危険をおかして、主人の治療にあたって下さいました。本当にありがとうございました。他の大勢の患者さんの治療にあたっておられる皆さんのことが心配です。どうぞ気をつけてください。」たった今、夫を亡くし、深い悲しみに耐えながら、最期のお別れさえ言えなかった彼女の口から出たこのような感謝の言葉が、その命を救うことができなかった、わたしたち医療者に対して語られたのです。この日、Tさんの治療にあたった多くの看護師と研修医、そしてソーシャルワーカーは涙を抑えることが出来ませんでした。コロナパンデミックによる医療現場での一つの闘いの幕が下りたのでした。

 これまで当たり前と思っていた日常生活に大きな変化が生じ、アメリカも大変混乱しています。経済活動の縮小、物流の停滞、人と人との接触まで限定されるなど、かつて経験したことのない現実が、医療現場でも様々なドラマを生み出しています。あまりにも急激に、その命さえも絶たれてしまうこの騒動の中で、このような感謝の言葉が聞けることは、精神的にも肉体的にも極限の状態にある私たち医療者にとっては、力となり癒やされ励まされ、次の闘いに挑む原動力となるのでした。

 

 
     
 

Story  “本当のヒーロー”

 新型コロナウィルス肺炎患者の入院が増える中、院内では職員の健康スクリーニングも始まり、毎日院内に入る前に風邪の症状の有無を問うスクリーニング検査用紙を提出し、またその場で検温し発熱がなければ、勤務に就けるというシステムです。

 新型コロナ肺炎の患者さんの中には、病状が悪化しICUで人工呼吸器を挿管されるケースも少なくはありません。感染拡大を最小限に抑えるため、新型コロナウィルス特別チームが一般病棟とICUに配置されました。ICU を受け持つ呼吸器疾患専門の医師で引退をまじかに控え、昨年までICUのディレクターだった年輩の臨床教授のL先生が、ある日私にこう話してくれました。

 「高血圧と糖尿病を持つ65歳の自分が、最先端で新型コロナウィルス肺炎患者のチームを背負うことに正直言って少々心配だった。しかし、そのようなことはおくびにも出さず、研修医の指導と患者の治療に忙しく携わっていたとき、若手の助教授にこう言われたんだ。"先生、新型コロナウイルス患者の担当は自分たちに任せてください。他のICU患者の治療をよろしくお願いします"」と。

 L教授はその時ほっとしたと本心をあかされました。「年輩の教授をできるだけ新型コロナウイルスに感染しないようにとの配慮が本当にありがたかった。こういう、臨床医師がいるから自分も安心して、このICUを任せられるんだよ。彼は、すでに立派なICUのリーダーだね。」と語るL教授も、現在新型コロナ肺炎以外の患者の治療のために日々忙しく働いておられます。

 ICUでコロナ肺炎患者の治療にあったっている若手の一人C 医師は、7か月の子どもを持つのひとりの父親です。奥さん、子供、そして同居しているご両親をこの未知のウイルスから守るため、自分自身は、自宅の車庫にテントをたて、その中に小さなマットレスを置きそこで生活しているとのこと。勤務が終わったあとは、病院でシャワーを浴びて帰宅するそうです。同じ自宅の敷地内に家族が居ても、まだ7ヶ月の子どもと妻との生活を犠牲にしてでも、C医師は不便なテント生活をしています。このような犠牲があってこそ新型コロナ肺炎患者への医療が続けられているのです。

 「C先生、テント生活お疲れ様です。大変ですね。」と声をかけました。C医師はその時こう言いました。「ありがとう。でも自分は新型コロナ肺炎の患者さんと直接接触するのは、せいぜい5時間ほどなんだよ。それにくらべて、担当看護師さんたちは、一日中新型コロナ肺炎患者さんのケアにあたっているんだ。本当のヒーローは、看護師たちなんだよ。」と。

 わたし自身が看護師として働いていた時のことを思いだしました。確かに12時間単位でケアに当たるのは看護師なのです。「本当のヒーローは看護師たちなんだ」このような人をいたわる優しい思いを持って共に働いてくれる医師の存在を誇らしく思ったのでした。

大学病院の前に作られたサイン「ヒーロー達が働いている場所」

 

 
     
 

Story  “第二の家族”

 新患の診察依頼を受けて、さっそく研修医と一緒にN さんの部屋を訪ねました。やせ細った顔にできた深いシワ、少々伸びすぎた髪と髭が最初に目につきます。医師や看護師がどんな応対をしても、全てに文句をつけてスタッフを困らせているとのこと。痩せこけた顔と手足が、腹水で大きくなった腹部をさらに目立たせています。 Nさんは、つい3週間ほど前に末期の大腸がんと診断されました。終末期をどう過ごしたいのか、今後はどのような医療を受けたいのかという大切な相談をするために、Nさんのご家族にもこの話し合いに加わってもらうことを勧めました。

 ところが彼は、家族との交流はずいぶん前に途絶えていて、もうここ数年ホームレスで住所もないとのこと。唯一の「家族」は教会のエイミー牧師とスティーブ牧師の二人だというのです。Nさんの希望で、この二人にも話し合いに加わってもらいました。彼の大腸がんは多臓器に転移がみられる末期のステージだと診断されたこと、強い抗がん剤を使うこともできるが副作用が強く、QOLが下がる可能性が高いことや、治療をしても治癒は不可能だということが説明されました。
     
 彼は二人の牧師先生に向かってこう言いました。「自分は、まだ50歳なんだよ、死にたくないよ」と、涙ぐんでいます。それから毎日このお二人の牧師先生がNさんの元を訪れ、親身になって相談にのっていました。退院の前日にNさんはこう言いました。「もっと生きていたかったが、抗がん剤の副作用で不快な毎日を過ごすよりは、残りの日々を静かに安楽に過ごしたい、神様が自分を天に召される時がきたら穏やかに自然に逝きたい」と。 Nさんの希望に応え、DNR(蘇生はしない)の指示が出されました。Nさんには帰る家がないので、退院後は看護施設に入所し、そこでホスピスケアを受けられるように取り計らいました。 

 退院間際にこんな話をしてくれました。高校を卒業してから、ずっと配管工事の会社に勤めていたこと、6年前に住んでいたアパートが火事となり、大やけどを負って、数か月間入院したこと、そこを退院後は職を失い、しばらくホームレス施設に住んでいたが、その施設では凶悪な事件があり、それからは身の危険を感じ、公園に寝泊まりを始めたというのです。そして、毎週末、その公園でエイミーとスティーブ牧師が始めた野外の集会に参加するようになったようでした。参加者の半分以上は、ホームレスの人たちで、あとの残りは近所の一般市民だとのこと。その中には引退した警察官や消防隊のキャプテンなども交じっていることや、高校卒業後は宗教から遠ざかっていたけれど、エイミー牧師の野外教会に参加するようになって、神様を身近に感じられるようになったことなど、淡々と話してくれました。ホームレスになったことがきっかけとなりエイミー牧師との出会いがあり、この出会いを通して自分のこれまでの生き方を見直すことができた。このことは、私の人生の中で何にも代えがたい貴重な宝だった、人生の背後に働く不思議な神様のみ手を感じましたとNさんは語ってくれました。

 エイミーとスティーブ牧師は、いったいどんな活動をしているのだろうと、とても興味がわき、退院するNさんを迎えに来たエイミー牧師に質問をしました。エイミー牧師は40代前半に見える若い女性牧師でした。彼女は、家族に見放されて野外で生活しているホームレスの人たちを、聖書の教えをとおして支えようと献身していること、「身に付けている衣服以外、高価なものは何ひとつ持っていない彼らですが、色々な人生の背景を持っている素晴らしい人たちなんですよ。この野外教会では、たまに朝食も用意しており、そうした資金は近所に住んでいる参加者の献金でまかなわれているのです」と、話してくださいました。Nさんがこの二人の牧師を「家族」と思っていたこと、それに応え、最期までNさんの側で家族の一員として応援し続けたのです。人のために生きるってこういうことなんだと、深く感銘を受けました。

 そのNさんも今は亡き人となりました。身内であっても最期まで大切にお世話できない家族も多くいる中で、身寄りのないホームレスの一男性のために、ここまで時間と労力をいとわず、親身にお世話し続けたこのエイミーとスティーブ牧師のことを時折思い出します。

 全てを人の幸いの為に捧げる生き方を選んだ彼らの人生の素晴らしさが再び心によみがえり、今置かれているこの厳しい状況の中で、"自分にできる最善を尽くしたい"という決心を新たにさせられるのでした。

お読みいただきありがとうございました、今後も随時更新いたします。

 
 
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